今回の記事は完全に日記です
去る10月21日に義父が療養先の施設で肺炎にて亡くなりました
60代の半ばからパーキンソン病と診断され70過ぎに施設での療養生活を始めて
82歳でこの世を去りました
クニ爺(我が家での義父の愛称)との付き合いは母の再婚相手として紹介されたときからなので
25年以上になります
僕の母親は典型的なクズ女なんで結婚と離婚を繰り返していました
最後の旦那さんがクニ爺でやっと母の男癖も良くなったと思ったことを思い出します
クニ爺は現役の頃大型トラックの運転手でした
実家でご飯をごちそうになりそのまま眠ってしまった翌朝、仕事が休みだった僕は
クニ爺が仕事に出かけるのについて行ったことがありました
お客さんのとこについて荷物の積み込みを手伝っていると
工場のオジサンに「クニさんのせがれかい?よく似てるね!」なんて言われて
クニ爺は身長は160センチぐらいで僕は180センチでどう見ても似てるとは思えなかったけど
血が繋がって無くても同じご飯を一緒に食べてると自然と似てくるのかなって2人で話したことを
帰りの車の中で話したことを思い出します
自閉症の長男のことも気にかけてくれていました
病気が進行する前、自宅で療養していた頃少ない年金を大事に貯めて
「お母さんとキイチ(長男)にお金残して死ぬから心配するな」って言ってくれました
病気が進み自宅での生活が困難になり施設に入所してからは、半分冗談ですが
「お兄ちゃん(僕)に負担かけたくないから早く死にたいよ」って言ってました
施設にはコロナが流行る前には3ヶ月ぐらいの間隔でお見舞いに行きました
僕たちが面会に行って表に連れ出し遊んで帰ってくるとホームシックにかかり
家に帰りたいと口にするそうで介護や療養に悪い影響があるから頻繁には来ない方が良い
ということになりました
本人は一時的な入所と考えていたようですが、自宅での療養には限度があり
母には介護する気がなかったようで、結局死ぬまで施設生活になってしまいました
去年の夏に倒れて病院に運ばれたときに面会に行ったのが最後でコロナの流行が無ければ
もう少し親孝行が出来たんじゃないかと悔やまれます
23日の夜に家族で斎場に安置されているクニ爺の顔を見てきました
綺麗に髭を剃ってもらって髪も短く刈り揃えてあって格好良く寝ていました
葬儀屋さんには感謝です
長い闘病のせいで体が一段と小さくなってました
冷蔵庫に安置されているんでしょうね 体をさすったらとっても冷たかったです
父を見送るのは二度目ですが
生みの親は僕が7つ時に海で自死し遺体の損傷が激しかったそうで
最後の対面は出来なかったので、クニ爺の綺麗な顔を見ることが出来て良かったです
子供達は死んだ人の顔を見るのは初めてなので良い教育になってると思います
人はいつか死ぬということを身近の人の死で体験することは大切なことです
クニ爺は僕たち家族の良いお爺ちゃんでした
最後にクニ爺には火葬されて骨を拾うことを子供達に経験させてもらいます
お箸とお箸でモノをつかんじゃダメってのを何度も教えましたが
これを経験すれば言ってる意味が分かると思います
もっと書きたいことありますがこの辺で止めときます
最後に皆さんにお願いがあります
クニ爺が天国に行く途中、道に迷わないよう
天国から僕たち家族を見守り続けられるよう
冥福を祈ってやってください
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