阪神・淡路大震災

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今回の記事は阪神・淡路大震災のことを関東に住んでる僕の目線で当時を振り返りながら

記事にしていきます

平成7年1月17日に発生した大地震で当時僕は21歳でした

まだサイディング屋さんにはジョブチェンジしてなくて大工として工務店にいました

一人暮らししてた風呂無しボロアパートで朝起きたらニュースがこの話題一色でした

現場に着いてもラジオから流れてくるニュースは嫌なものばかりだったのを覚えてます

この後オウムの事件もあったしこの年はサイディング屋さんになった年でもあるので

節目としての記憶があります

僕たちの業界としてよく耳にするのが震災の時に倒壊せず残った建物の多くが

窯業系サイディングを外壁に採用した建物でこの地震をきっかけに全国的に普及したって話です

一昔前は関東のサイディング屋の多くが北海道出身の人でした

寒冷地では左官仕上げの外壁は珍しいそうです(施工中の凍結が致命傷のため)

僕の師匠も札幌出身の人です(今では完全に千葉の人ですけど)

当時関西に出稼ぎ行ってて地震にあった職人さんの話を聞くと

とりあえず家出てみたけど現場まで4時間かかって停電してたからそのまま帰った
コンビニに何も無くて困った
待機しててもお金貰えた

そんな話をよく現場で話してました

もっとエグい話も聞いたのですがホントかウソか分からない気分の悪くなる話題なので

書きません

関東から行った大工さんは材木の種類が違って収めに困ったって聞きました

インニイッサン(1寸2分×1寸3分)30×40の垂木が関西には無いそうです

サイディングも昔は9尺モノと10尺モノがあって関東では9尺モノが多かったように感じます

建築基準法もこの地震の後に大きく改正されてて羽子板金物やホールダウン金物が

現在の基準になりました(僕二級建築士です^^)

関東に住んでいた僕にはピンと来ない遠い地域の話でしたが東日本大震災を自身で

経験することで当時の被災者の想いを少しは分かった気がします

 

僕が二級建築士を目指したのは耐震診断をしたいと思ったとこからスタートしました

時々ですがただお金儲けのために耐震強度で不安を煽り高額なリフォームを契約する業者が

います

大工としての知識やサイディング屋としての経験ではそういう業者の営業に勝てません

建築士の先生が危険を煽るからです

当時の建物が全て違反建築なのは法律が変わったためで手抜き工事では無いということを

ちゃんと説明してないことが多いです

当時の大工さんが真心込めて建てた建物と欠陥住宅はプロが見れば分かります

やったもんがちのリフォームの風潮になんとか一石を投じたいと思ったのは震災の後でした

今回はここまで!

ご安全に!

26年前の今日お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします

最後まで読んで頂きありがとうございました

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